200円のほうれん草
今の東北
2つ目放射能について…
風評被害…ボランティアしてくれた方にお礼として自家製の乾燥わかめをあげました。その後予定があって高速のサービスエリアに行ったらあげたはずのわかめがゴミ箱に捨ててあったそうです…。
福島県だから不安!そう思う人もいるでしょう、しかし漁師や農家などは困ります。放射能は風によって流れるもので福島県でも場所によっては山などで遮られ放射能の影響が全然無いところもあります!育てた野菜を放射線量を測らずに食べる人がいるほどその地域は放射能の被害がありません、しかし県外から見ると福島県と一括りにされるのです。
北海道産のほうれん草200円と福島産のほうれん草200円、あなたはどちらを買いますか?
今の東北 復興
自分は大学2年生から個人的に海外に行こうと考えています。その時もし外国人に東北大震災について聞かれた時に日本人として答えられるようにヒッチハイクで東北に赴き現地の人とお話を聞きに行きました。
自分が夏実際に東北に行って学んできた東北大震災は復興、ボランティア、政府、放射能と大きく4つに分類できると思います。 その中でまず復興について伝えようと思います。
復興…地域によって復興の度合いが違います、また人によっても違ってきます。
宮城の県庁で働く人に尋ねたら「海沿いの田舎以外はほとんど復興している」と即答でした。
福島に住んでいる人たちに聞くと「していない!」と即答でした!原発のある30キロ圏内に入れないことや風評被害が残っていることが理由のようです。
人の心の復興…心の復興もまたそれぞれです。
地震で家が壊れた人、家を流された人、家族を失った人色々な立場がありますが東北大震災から4年半経った今でも復興が難しいのは家族が行方不明のままの人たちです。
いくら時が経っても、いくら復興が進んでも、東日本大震災で大切な人をなくした人々の時間は止まっています。
復興のお祭りをしていてもその人たちは心の中にモヤモヤが残っていて、復興を喜ぶ人々との間に溝が出来ることもあるそうです。
失明と親孝行
母が「目が悪くなっているの」と訴えてくる、自分は「どうせ老眼やろ?」と思って構わなかった。
実は、母は白内障で、盲目に近づいていた。
母から白内障である事を告白されてようやく事態に気づいた、自分は病院に行く事を進めたが、「(医者から)もう治らんって言われた、病院おらんであんたらとおった方がよか」と言って白くなった目で涙を流しながら抱きついてきた。。。
…と言う夢を見た‼︎(騙してごめん)
なんか急に親孝行しておかないと!という思いがふつふつと湧いた。
って言うことでこの前、GWの社畜で稼いだお金を使って母親と1泊2日の山口県旅行に行きました!✨
泊まったとこは、屋上に温泉があってそこから海が眺められるというカップルにお似合いなホテル。
彼女と旅行なんて言ったことないのに…
初日は下関で海辺サイクリングして、水族館行って、絶品海鮮丼を食べて、夜に海峡タワー登って、2日目は金子みすゞ資料館へ行くためにみすゞ号という観光電車で長門へ 行きました!車窓から見えた海がすごく綺麗でした!✨
奢られるのに慣れてなくて途中奢り合戦が起きましたがまぁ旅行には満足してくれたみたいです😁
最近何人かの身近な友達の親が突然亡くなっていて、本当他人事ではないなと思ってます。だから亡くなる前に親孝行出来て良かったです(不謹慎か笑)
来年は父親と行こう!
モヤモヤしてしまったので書く
帰宅路の居酒屋の通りには点字ブロックが敷いてあり、その上には自転車がよく止まっていた。
帰宅途中に白い杖を使って点字ブロックを伝って歩く男性に気づいた。
すぐさまUターンして10台ほど置いてあった自転車とバイクを急いで端に動かした。自転車をどかしても彼と自転車の距離は縮んでいく。ぶつかるかと思った時に彼は右に避けた。ぶつからなかった。
男性に話しを聞くと、この場所はよく自転車が置いてあって少しだけ見える目と杖を使って注意して歩いているらしい
、それでも自転車にぶつかる事はあるそうだ。点字ブロックの上には自転車やバイクの他に居酒屋の看板までもが置かれていた。
自分は何もする事が出来なかったし、自分の事しか考えていない人が沢山いる地域に彼が住んでいるのがかわいそうだと思った。
彼からの「ありがとう」の一言が自分を悲しくさせた。
親から金を盗まれ、ひとり旅
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9年間の貯金
私は小学1年生から中学3年生までお
金を貯めていた。お小遣いやお年玉などを使わずにとっておいた。通帳は親に無くさないように預けていた。定期的に「いくら貯まった?」と聞いてお金を貯まっていく通帳を見るのが楽しみだった。
ある日父に通帳見せて?と尋ねると「ごめん無い、見つけたら言うね。」と言われ、それから私は毎月通帳が見つかったかを尋ねるようになった。しかし父は「無い」の一点張りで尋ねる度に父は機嫌が悪くなった。
数ヶ月が経ったある日、母が私を呼んだ。偶然掃除中に私の通帳を見つけたという。私はワクワクしていた。なにせ約9年間貯めた貯金は推定でも8万近くはあるからだ。通帳を開くとなんと預金残高は1万円しかなかったのだ‼︎
父にこの事を尋ねても「俺は使って無い」の一点張り、9年間貯金をしていたが欲しい物がなかったわけではない。貯金は9年間の我慢の結晶だった。私はショックよりも怒りを感じた。
私は吹っ切れてしまった。そしてどうせお金が無くなるなら貯めずに使い切ってしまおうと思うようになった。
私は残りの貯金と高校入学祝いで貰ったお金を使い果たすつもりで沖縄に豪遊ひとり旅に出た。
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お兄さんとの出会い
毎食2000円ほどの食事を食べ歩きしながら旅を続けた。
私は路上でアートを描いて売っているアーティストに出会った、これが人生を変えるきっかけになった。
このアーティストさんは兎に角凄い人だった!大卒で内定を得たものの、それを蹴ってコネが無い、英語も話せないのに貯金20万を持ってカナダに行ってしまう。お金がなくなるとすれ違った人にHelloと話しかけて友達を作りそのつてで日本料理店でアルバイトをして生活するようになる。
そうして3年経つとインド、エジプトと色んな国を飛び回っていた!
親から電話が来る度「今インドいるよ!…今エジプト」と国が変わっていくのだとか…。
そして今ではカナダでアパートを経営して年収1000万、3ヶ国語を話せるバイリンガル
このアーティストのお兄さんからの沢山の言葉を頂いた。
「若いうちこそ色んな事に挑戦しなさい、若いと例え失敗しても取り返しがつく」
お兄さんは今まで色んな経験をしている気がした。面白い失敗談が聞けないかなと思って「今まで失敗したことはありますか?」と聞いてみた。
すると思いもよらない返事が来た。
「何もやらない事が失敗だよ、
俺はエジプトにいた時肩にナイフを刺されたり、インドで腸チフスにかかったことがあった。
生きてさえいればいい、生きていればそれは失敗じゃ無いんだよ。例えうまくいかなくてもそれは経験になるんだ」私はこの言葉に衝撃受けた。宿に戻るとすぐに聞いた言葉を一字一句メモした。
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変化
沖縄で学んできた「何もやらなければ失敗」「生きていれば失敗じゃない」は私の座右の銘になった。やるかやらないかを悩んでいたものは「悩んだらやる!」に変わり、勇気のいることもまず「失敗したら死ぬか」を考え、死なないなら実行に移した。
高校を卒業しての春休みに初めてヒッチハイクをした。まずしたことは「ヒッチハイク 事件 危ない」と検索。何1つ事件の記事がなく死ぬことはないと分かり、その2日後にはヒッチハイクを決行した。危ないこともなく無事に成功した。
私もやれば出来るんだとやれることが増えて嬉しかった。自己評価が上がりこれからも色んな事が出来るような気がした。
やりたいけど何もやらない自分から、金を盗られたことをきっかけに、色んなことに挑戦していく自分に生まれ変わった。